1月13日(日)に、午前10時より『青年団報恩講』、午後2時より『親友講』がお勤めされました。小雪がちらつく中たくさんの方にお参りいただきました。 |
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午前の部の『青年団報恩講』青年団も一緒にお参りをしました。 |
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今回は、自坊の若院(次男)が法話をさせていただきました。 |
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こちらは荒町児童lクラブの皆さんです。児童クラブの皆さんには16日の御正忌報恩講のお世話をしてもらっています。 |
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青年団報恩講、親友講を終えて
今年も無事に青年団報恩講、親友講を行うことができました。この行事は、荒町青年団が世話役となり、準備、運営をしてもらっています。この忙しいご時世、若者が集まることはとても難しいことです。今回の行事に限らず、若者による活動を、皆さんにもっと理解していただきたいと思います。
今年の青年団報恩講、親友講を準備するにあたり、「こういう時代だからこそ、この仏事はどうして行われているのか、そして、青年団が世話人をしている意義をしっかりと若い世代に伝えていこう」ということを寺の者で話し合いました。団長さんにも協力していただき、今年は、大勢の青年団が寺に集まってくれました。大変頼もしい光景でした。若者が集まると、何ともいえないエネルギーがそこに生まれます。そして、そういったエネルギーが地域を、時代を造っていくように思います。
若院の法話の中に、「報恩講の『講』という字には、集い語り合うという意味がある」という話でありました。そして、そういった場を村の青年団が作っていることに意義があると話は続きました。私も、まったく同感です。
親友講とは、今年荒町で亡くなられた方を村全体で偲び、そして、それをご縁に尊い仏法に遇わせて頂く仏事です。私は、青年団がこの仏事の世話をしてきた背景には、“村のために一生懸命に生きてこられた先人へ敬意を表する”という意味もあるのではないかと感じています。
実際に青年団で親友講の準備をしていく時に、今年亡くなった家族のおられる家に法名を持ってきて頂くお願いに上がるのですが、家を訪ねて初めて「この家の方が亡くなったんだ…」と実感し、「なくなった方ってどんな人だったの?」と会話が進んでいきます。この仏事を通して、「あの方は、こんな方だったよ。」、「村のためにこんなご尽力を頂いたよ。」ということを若者が知っていくのです。
この仏事を伝統として、必死に受け継いでこられた先輩方のお陰で、村の“つながり”が途絶えなかったのだと思います。そして、私達はこれからもしっかりとその精神を引き継いでいかなければいけないと強く感じました。
小雪散る中、たくさんのお参りありがとうございました。そして、会場の後片付けまでお世話いただきました青年団の皆さんに心より感謝いたします。
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合掌 若院 |
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